紅茶文庫

ややななめの視点から、やさしい語り口で元引きこもり・元早大文構生が語ります。要するに読者をかなり意識した雑記です。

シャボン玉と銃

突然ですが、しあわせには2種類あると思います。

(あ、大丈夫。最初の記事のドアタマがこんなんだけど、最後の方でブレスレットを売ったり、変な情報商材のリンクに飛ばしたりしないから、逃げないで。)

その2つというのは何かを成し遂げた時の幸せと、何気ないことで得られる幸せです。

前者は、大学に受かったとか、県大会出たとか、書いた文章が表彰されたとかそういうやつ、後者は、好きな人とスーパーやショッピングモール、家具屋さんに行くと得られるやつです。

どちらも本当に<充実している>と思える瞬間で、個人的には両方大事にしたいんだけど、実は、後者、ショッピングモール系の幸せは保持するのが難しいんじゃないかなって思います。

勝ち取った系は形として残ります。卒業したって何したって、通知はとっておけるし、学歴だとか、歴史としても残る。成果を再確認しやすい。自分が頑張ったって事実は、いくらでも残ります。幸せが長く続く気がします。

対して、ショッピングモール系は、「状況」を維持しなければ壊れてしまいます。誰も人と人との関係ほど変化しやすく、壊れやすいものを他に知らないと思います。壊れてしまえば、あとは思い出すことしかできません。そこに数秒だけあったシャボン玉を思い出せるのはあなただけです。

僕は、その尊さに気付かずに、シャボン玉を壊し続けてきちゃったかもしれません。いや、たぶん壊そうとはしていないんだけど、大事にはしていなかった。触れたら壊れてしまいそうな幸せはそっちの方なんです。あっちじゃない。

世間的に幸せなのを証明しやすいのは勝ち取った系なのかもしれませんが、もしかしたら、たとえ凡人でも、シャボン玉を浮かせ続けられる人が一番幸せなのかもしれません。部室で気の合う仲間とトランプをしながら、そう思うのでした。