長距離走を短距離走のペースで走らないと置いてかれる感
社会人になりました。やっぱり忙しめです。(タイトル回収終了)ブログ分けるとか言って、分けてなくてごめんなさい。
思ったより記事が書けてないのでブログは分けません。タイトルも''紅茶文庫''に戻しておきました。
書きたいことは山ほどありますので、またいずれお会いしましょう。
あ、宅浪の話、終えてませんね。連載みたいな感じだったのに。それもいずれ書きたいなと。
僕が以前のようなブログを書くタイミングは、感情の波がある程度ある時です。
ありすぎると憂鬱すぎて書けませんし、
なさすぎると幸せすぎて書けません。
以前のようなブログが更新されたらそういうことだと思ってください。
ブログを更新していた時期との性格や調子の違いを考えると、もしかしたらもう少しさわやかなブログになってるかもしれませんが、それはそれで紅茶文庫っぽくないですね。その時はブログ名をレモンティー文庫にでもします。
上手いことが言えないので終わりにします。
ルイボスティーとブラックティー
紅茶文庫の作者が、紅茶を飲まなくなった。
今僕はこの記事を打ちながら、甘くて熱いミルクティーを飲んでいる。よかったらあなたも淹れてみてはいかが。寝れなくなっても知らないけどね。(だいたいこんなブログ読んでる人って不眠症でしょ?読者は筆者に似るのだ。)
先に言っておく。今日はミルクティーの話しかしない。だがそれで十分だ。
紅茶文庫のくせに紅茶の話をいままで全然していなかったけど、僕は紅茶が好きだ。市販の紅茶をすごく飲む。別にお高いやつじゃなくてもいい。紅茶飲料が好きなだけであり、オシャレでもなんでもない。と、いうのも、甘味料が入っていなくて甘ければいいのだ。甘味料は滅べ。何が糖分0だ。カロリーゼロだ。自分で自分のいいところを潰しおって。お前はなんだ、高校を卒業してすぐ再会した女子か?頼んでもないのに濃い化粧をして自分を台無しにしている女子か?そのままでいいって言っているのになんでそれがわからないんだ?いますぐ黒染めして、その下手な化粧を落としてこい。お前はまだ化粧しなくても数年戦える。数年経ったら知らん。2年保証。
それ以外のこだわりはない。だが本当によく飲む。体内の水分の半分くらい紅茶なんじゃないだろうか。
偶然、ほんとに3年ぶりくらいにだが、紅茶を一切取らない日があった。愕然としたんだが、死ぬほどよく寝られた。別に疲れていたわけでもなんでもないが、日付が変わるぐらいにすーっと寝付くことができた。
でも眠れない僕はまた懲りずにミルクティーを飲んでいる。それは無意識だった。紅茶は僕の生活に侵入してきており、知らず知らずのうちに僕は紅茶に支配されている。
書いていることが割と被っているのはさっき気がついた。ほとんどの人間の本質は、あまり変わらない。
*1:書いてて吐き気がする
彼女が留学することになった
僕、科目「政治・経済」が好きなんです。需要供給曲線を見るだけで興奮するくらい好きで、
経済学科の女子にひかれたことがあるんですけど、
▲興奮する
そんな僕が、最近なぜか世界史の勉強をやってるんですよね。
【ちょっと宅浪してみた】第二話 ごろごろ、ごろごろ、にこにこ、ごろごろ。
前回までのあらすじ
大学をやめてニートになったけど、有村架純と結婚できる気がしている。
ちょっと優雅すぎちゃった生活
僕は、何かをはじめるのが人よりおっそい。それも普通の遅さではない。人が何かをし終えて、一服終えるのを見て、やっと僕は重い腰をあげる。時に腰が重すぎて、そのままころんと転がることもある。
暖かくなってきて、考えも前向きになっていたので、以前通っていた以外の大学に入り直すつもりはあった。(金銭面から、漠然と国公立を志望していた。)ある程度の学力はあるとはいえ、1年以上もろくに勉強していないから、普通はあせり始める。でも、ここであせる正常な感覚を持っている人が、こうなるはずはないということにお気付きだろう。教育テレビをみてごろごろ。ニコニコ動画をみてにこにこ。自分が小学生のころやっていた番組に食いつき、そうでない番組のときはごろごろのギアをあげる。このトップギアのごろごろは、逆にどこか美しくすらあるわけがない。
2~3日に1回は散歩しよう
んでも、やっぱり引きこもるのは健康によくない。天気が良くて、気が向いて、お腹がすいていないという、とっても厳しい条件をクリアしたらお散歩に出かけよう。ご飯を食べに行くこともあるが、行先はもっぱら本屋である。
だいすけ氏の家から20分歩くと小さめの本屋が2つ、45分歩くと中くらいの本屋が1つ。新古書店の二つはいずれも20分歩くとある。自転車はないし、買うのはめんどくさいので歩く。散歩はけっこう楽しい。猫背になって、下ばかり向いて歩いていた気がするが、そうすると植物や猫によく会える。歩くのは別にめんどくさくない。そんなことをめんどくさいとか言う人は将来が心配だ。
本屋に行くと言っても、向学心があるわけではないので、真面目な本は読まない。このころの僕は小説も読めないので、必然的に漫画を読むことになる。途中でそれに気づいたので、僕は新古書店にしか赴かなくなった。漫画を新刊で揃えてたら金銭的に死ぬ。社会的にはもう死んでいる。平日お昼のブックオフは、前向きなオーラがほんのりも感じられない素敵な場所だ。
空きっぱらに酒を注ぐがごとく
まず、中学生の頃から読んでいたが、途中で読むのをやめた漫画を買いあさる。(『ハヤテのごとく!』が筆頭)。あとちっちゃい頃から好きだった『みどりのマキバオー』なんかも買ったが、一番のヒットは、なんといっても『バクマン。』だ。
先ほども言ったように、この時期の僕は社会に役立つような能動的なことを何もせず、教育テレビを見ては、世界トップクラスのごろごろをしながら過ごしていた。でも、たまにそのごろごろが功を奏することもある。その一番大きなものが、『バクマン。』を知れたことである。このアニメが、教育テレビで再放送していたのだった。
すっげぇ面白そうだし、20巻までしかない模様。とりあえず5巻までごそっと買う。
ちなみに、3日後には20巻が僕の寝床の横に積まれていた模様。(この漫画は読むのにとても時間がかかる[1冊30分はかかるだろう]ので、これでも早い方だ。)
バクマン。 モノクロ版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
- 作者: 大場つぐみ,小畑健
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/10/12
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ここで覚えておいて欲しい公式がある。
何も持っていない奴であればあるほど、他のものに影響されやすい。
僕も例外ではなく、漫画家ってかっけー!どうしたらなれるのかな?などと漠然と考えていた。(ハヤテを読んだ後は執事に、マキバオーを見た後には騎手になってみたいと思った。『アイシールド21』を見た後にアメフト選手になろうとは思わなかった)
なお、僕は中学の美術の成績が2である。国語は3。得意の家庭科は4だ。
僕は漫画家になれるのか。そして、初めての漫画の題材とは……?
今回はここまで。
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終わらない物語
夏はいつからか、僕なりの答えを
花火大会のカレンダーがスーパーに貼られていた。毎年、わりと大きな花火大会が、家から自転車で行ける場所で行われる。
僕は基本的に、(人混みを除いて)そういうのは好きなんだけど、年によって行けたり行けなかったり、行ったんだけど楽しめなかったり、行って死ぬほど楽しんだりする。その夏の充実度が測れるイベントになっている。
あれほどその人の状況によって楽しみ方が変わったり、楽しめるかどうかが決まるイベントも珍しいものだと思った。……いや、しかし、そうでもないかもしれない。夏祭りも同じだし、合宿なんかも見方によれば、か。―友達がどのくらい参加するかとか、特に新しい環境に居る人には大事だよね。この前僕は終えちゃったけど、バーベキューもだな。(だいすけ氏[21歳]は、肉をかっこみ終わると水鉄砲を構え、一年生よりも、そう誰よりも濡れていた。たぶん来年もそうなる。[※下級生のために肉を焼け] )
夏のイベントを楽しめるかどうかは、その前の日までに大方決まっているのかもしれない。ドラムとして、自分が出演するライブみたいだな。当日の状態はほとんど関係なくて、練習でちゃんといろいろな部分がつめられているかが当日の出来を左右する。というかむしろ、当日の精神的コンディションすらそこまでの練習の具合に左右されると思う。
ドラムと違って、まだどうすればいいかは分からないが、夏のイベントを楽しめるよう、準備でもしておくか。うん、まずは引きこもり生活で失った体力をつけよう。うあとはやはり各イベントに協力的になることか。貢献感って大事。チームワークは得意な方ではないが、得意かどうかと好きかどうかは違うと思う。
夏のにおいが強めのクーラーをかけた部屋から出たときに感じるあのにおいだとしたら、今日はもう夏だね。
【ちょっと宅浪してみた】 第一話「ニートよ、大志を抱け」
大学の退学届を見たことがあるだろうか。
大学によって違うだろうが、僕の見たことのあるものは、
高校生までで見た、「保護者会参加表明」のプリントとそっくりだ。
生徒氏名、保護者氏名、印鑑。
その3点さえ揃えれば、「居なくなる権利」が得られる。
そういうシステムになっている。
面談は、希望しなければ、行われない。
そして僕もしていない。
紙っぺら一枚を事務所の人に出して、一見気まずく、ぎこちないように聞こえるが、場数を踏んだ感じの、「では、いただきます」という声を聞いて、母親も、僕も、静かに事務所棟を後にする。この大学は狭いから、使った教室のある棟はすべてこの校門から見渡せる。
母親は元来明るい人だから、「記念に写真を撮ったら?」なんて言っていた。
もしこの親までもが逆の性格だったら、僕はここまで生きていただろうか?
写真は撮らなかった。大学生がニートになった瞬間を切り取る必要はなかろう。
ニートには二種類あるだろう。前向きすぎるニートと、後ろ向き過ぎるニート。楽観的過ぎて、世間を舐めてるタイプか、悲観的過ぎて、世間の壁を感じすぎているタイプか。
僕においては、そのとき「は」前向きな方だった。厳密に、定義にあてはめればニートだが、別に何も心配することはないと、そのときは思っていた。
しかし、いま、僕はどこにも属していない。属しているとしたら、自分で設立した草野球チームだ。(ニートがリーダーの草野球チームがあるらしい。ちなみに回りは大学生だから、劣等感がすごい。)
予備校にも行っていない。アルバイトも、もうしていない。いま大学生をやめた。
世の中にある名簿というものから僕の名前を見つけるのは、今年中に僕が有村架純と結婚することより難しい。つまり、不可能だ。(ここで大事なことだが、結婚のほうは不可能ではない。)
誰かと連絡を自分から取ろうとしなければ、この携帯も使わない。
偶然誰かと遊びに行けたとしても、彼らの一言は「大丈夫?なにしてんの?」から始まる。
そんな状況だが、なぜか僕は、すがすがしい気持ちで歩道橋を渡っていた。
天気は、周りの人の気持ちよりも、僕の気持ちを投影していたに違いない。
晴れていた。
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