【ちょっと宅浪してみた】 第一話「ニートよ、大志を抱け」
大学の退学届を見たことがあるだろうか。
大学によって違うだろうが、僕の見たことのあるものは、
高校生までで見た、「保護者会参加表明」のプリントとそっくりだ。
生徒氏名、保護者氏名、印鑑。
その3点さえ揃えれば、「居なくなる権利」が得られる。
そういうシステムになっている。
面談は、希望しなければ、行われない。
そして僕もしていない。
紙っぺら一枚を事務所の人に出して、一見気まずく、ぎこちないように聞こえるが、場数を踏んだ感じの、「では、いただきます」という声を聞いて、母親も、僕も、静かに事務所棟を後にする。この大学は狭いから、使った教室のある棟はすべてこの校門から見渡せる。
母親は元来明るい人だから、「記念に写真を撮ったら?」なんて言っていた。
もしこの親までもが逆の性格だったら、僕はここまで生きていただろうか?
写真は撮らなかった。大学生がニートになった瞬間を切り取る必要はなかろう。
ニートには二種類あるだろう。前向きすぎるニートと、後ろ向き過ぎるニート。楽観的過ぎて、世間を舐めてるタイプか、悲観的過ぎて、世間の壁を感じすぎているタイプか。
僕においては、そのとき「は」前向きな方だった。厳密に、定義にあてはめればニートだが、別に何も心配することはないと、そのときは思っていた。
しかし、いま、僕はどこにも属していない。属しているとしたら、自分で設立した草野球チームだ。(ニートがリーダーの草野球チームがあるらしい。ちなみに回りは大学生だから、劣等感がすごい。)
予備校にも行っていない。アルバイトも、もうしていない。いま大学生をやめた。
世の中にある名簿というものから僕の名前を見つけるのは、今年中に僕が有村架純と結婚することより難しい。つまり、不可能だ。(ここで大事なことだが、結婚のほうは不可能ではない。)
誰かと連絡を自分から取ろうとしなければ、この携帯も使わない。
偶然誰かと遊びに行けたとしても、彼らの一言は「大丈夫?なにしてんの?」から始まる。
そんな状況だが、なぜか僕は、すがすがしい気持ちで歩道橋を渡っていた。
天気は、周りの人の気持ちよりも、僕の気持ちを投影していたに違いない。
晴れていた。
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