アウトプット、は、すべて ―『そこの俺』シリーズ1
ねぇ、そこの俺、
「アウトプットがどんなもんか以外に、人の本質的な価値を決めるものはない」よ。
アウトプットの価値がその人の価値を決めるんだ。ちなみに、ここでいうアウトプットの範囲は広い。こんなブログ、試験の成績、レポート、論文だけじゃない。SNSのつぶやきもそうだし、日々の発言もアウトプットだ。自分の生き方の断片であり、自分以外の人に干渉するものは全部そう。というか、俺自身に対して返ってくるものですらそう。そうすると身の回りほぼすべてアウトプット。つまり、思考と経験が組み合わされた結果すべてが。
ご飯を食べること自体はインプットなんだけど、どんなご飯を食べるかを選択して実行することはアウトプット(意外に見落とすのが、これらの『インプットに見えるアウトプット』。)
今俺の部屋があんまり綺麗じゃないこととか、いろいろとサボってこんな文章かいてるのも俺なりのアウトプットだよ。ほかのすべてを否定してキーボード打ってるんでしょ。
どんなインプットをしているかはその人の価値と関係ない。例えば、アリストテレスを読んで「某皇族の露出が多い」だの低俗な週刊誌を書いている人より、えっちな本を読んで「こころ」のような名作を書ける人の方が価値が高い。
(まぁ、むずかしいだろうけど。俺はインプットの組み合わせがアウトプットの質を決定する説を支持しているからね)
問題は、いいインプットを知っているのに、文字通りクソみたいなアウトプットをしている人がありふれているってことなんだよ。
俺は俺のことを良く知っているから、ここで「こんなにいい作品が溢れているのに、現代人はけしからん」なんていうつもりはないってことがわかるだろう。むしろ俺は、そのことをチャンスだと捉えている。
だって、そんなに上質なインプットを与えられていないーいまいち高尚な芸術や学問が理解できなくて、いい父親に育てられたとも言えないー俺にも、アウトプットの具合しだいでは自分の価値を上げることができるってことでしょ。
これをこの歳で知れたのは大きいと思うんだよね。よく思いついたね。幸運だ。
んーでも、後は俺のやる気しだいってところか。頑張らないとね。
アウトプットの質に気をつけて生きよう。俺の生き方が周りにどんな伝わり方をするか考えてみよう。こんだけ言えば大丈夫かな―?まぁどうせ忘れるだろうね、俺のことだから。でもたまに思い出したいね。
あ、でも、最低限、ちゃんと寝ていいものを食べたほうがいいと思うよ。
その選択も君の思考と経験の組み合わせの結果。つまり、アウトプット。
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