紅茶文庫

ややななめの視点から、やさしい語り口で元引きこもり・元早大文構生が語ります。要するに読者をかなり意識した雑記です。

もう6月だが、大学1年生に言い忘れたことを6つ言おう

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大学2年になった。

後輩ができると思わなかった。

こんなにたくさんの、しかも素敵な後輩ができると思わなかった。

 

僕は素直にうれしいという一言が言えない人だ。

だから、封印してたこの記事を開放しよう。

少し遅くなってしまったかもしれないが、少しでも役に立ててくれ、後輩よ。

そろそろフレッシュな気持ちがなくなりかけてきたころだろう?

けっこう反面教師的なところがある。僕のようになれというつもりまったくない。

そして結局は僕のいうことだからあんまり真に受けるんじゃないぞ。

ちなみに僕は私立文系の変な学部(文化構想という。僕は文芸コースだ)にいるから、そういう人間が書いたんだなと思って読むように。

 

1.疑って、構築しよう

もうこれ伝えて終わりでいいんじゃないかな。

大学に入って驚くのは、同じ大学の教員ですら正反対の意見を唱えていることがあるってことだ。バイアスのかかった授業は、意見より根拠に耳を傾けるいい練習になる。ついでに本もテレビも、すべて疑ってかかれ。

んでも疑うだけじゃツラい。っていうかたまに「疑いを重ね洗練された思考を持っている自分は偉い」と思っちゃっているだけの人が居る。

僕はそれを使って他人に影響を与えないと意味がないと思う。そういう状態の人は、「俺、たくさんお金持ってます!」って自慢しているのと同じだ。そんな自慢より、なんでもいいから社会のために使ってほしいって思うのと一緒。

自分が「これだ!」って思うことを集めて、積んで、なにか形に残るものを作るといいと思う。一人で作ってもいいし、仲間を集めてもいい。戦略を立て、仲間が必要ならそれひっさげて交渉しにいってこい。

アウトプットしなきゃせっかくの高級な「疑いのフィルター」にかけた素材も意味がなくなる。

参考。

d-rimshot.hateblo.jp

2.持ち場をつくれ

さすがに、この時期にどこにも所属していないのはなんらかの理由があるんだろう?天才でもない限り、サークルやらゼミやら、バイトでもいいな。あんまりすぐに離れていくおそれのない集団に籍をおいておこう。そこで自分なりの役割が見出せれば最高だ。凡人は一人では生きていけないみたいだから、人とうまくやるトレーニングをしておこう。

っていうかそれ以前に、人と人とのつながりで、「貢献感」を得られたらとっても気持ちが良いぞ。

好きな集団がなかったら、作ればいいんじゃないかな。大変だけどね。

3.適度な孤独を満喫せよ

しかし、僕はひとりぼっちのやつより、群れてる人が逆に心配だ。たくさんのグループで存在感を発揮する必要はないし、まぁ不可能だろうと思うんだ。

たぶん君は不器用だろうから、一番好きな場所ひとつ(多くてふたつ)で勝負すべきだ。それ以外の時間は一人でもいいと思う。一人の時間が取れるのは大学生の特権だ。

自分で一人で考える時間を作らないと、今の状態を俯瞰的に見れない。お昼休みのサッカーで、ボールだけひたすらアホみたいに追いかけて、ひとつに固まっている小学生みたいだ。自分を発揮できるフィールドはたくさんあるから、有効に使うように。フィールドを俯瞰してどこにいくか、何をするか指示するのは自分しか居ないはず。(いま僕は、GIANT KILLINGを読みながら書いている)

4.授業を切るときはそれより価値のあるものに漬かる時

授業を切るとリカバリーが大変だから、基本的には切らない方がいい。っていうか1年で授業切るとか言い出しちゃって、卒業できるのかお母さん心配だわ。切るなら、なんで授業を切るか親を説得できるときに切ろう。切ったところの埋め合わせ分も考えてな。

それが埋め合わせできなければ出席すべきだ。第一志望にいけてないやつは特に、クサって授業を軽視しがちだが、授業より重要な(楽しい、ではない)ことを見つけてない人には授業を切る資格はないと思うんだ。わりと、単位を取るのが未来への投資だったりするからね。

5.「人生の夏休み」?

大学生は「人生の夏休み」なんて呼ばれてたりする。

これを「遊びまくれ!」って意味で捉えると大変なことになるかもしれない。

まぁ、気は緩むだろうけど。4年間っていうなかなかの長さがあるからね。

小学校の夏休みのことを考えてみてほしい。40日しかないでしょ?それでも、結構年によって「いい夏休み」と「そうでもない夏休み」があったはずなんだ。

そして、大学生だが、6回チャンスがある小学生と違って、

「そうでもない夏休み」をすごしたとしても、やり直しは効かないぞ。

だから、結構一日一日が大事だったりする。目的のない日をすごして後悔しない人にはならないように。いい夏休みにしようぜ。

 

6.勝利を定義する

最後。読んでいる君、卒業時に自分がどうあったら勝ちなの?

・・・・・・どこに就職しているとか、何の資格をとったってことだけじゃないんだ。

 

「何になる」も重要だが、「どうある」っていう視点で考えてみてもいいんじゃないかな。

中学の頃の八軒は「何かにならなきゃいけない」という呪文にガチガチに縛られて、「どんな人間になりたいか」がすっぽり抜けていたように思います

荒川 弘 『銀の匙 Silver Spoon』 単行本2巻より

 

それが決まったら、そこから逆算すればいいと思うよ。

 

随分とえらそうに言ってしまった。・・・・・・まぁすごい頭良くていい人なのに「なんだこれ」って授業をする教授もいるから、その逆もあってほしいと願おう。

この記事も疑って、自分なりに受け止めてくれればうれしい!

 

 

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不器用に0.5を

ずっと不器用に生きてきた。

手先だけの話ではない、
すべてが不器用だったと思う。
 
小さい頃から運動神経が悪く、工作も得意ではなく、歌も楽器もできるわけではなかった。頭は、ふつう。だが、勉強の仕方は下手だった。勉強時間に対する成績という指標があるなら、よくない方だっただろう。
 
ずっと不器用だと言われ続けてきた、自らに取り柄がないことを
親から、友人から、恋人から、知らされ続けてきた。
 
高校に入って受験勉強をした。
初めて本気で一つのことに集中した。
結果は失敗だった。勉強量なら誰にも負けなかったのに。
これではっきりした。僕が不器用な理由が。
 
正しいやり方を吟味する力に欠けていたのだ。
僕は何も考えていなかった。
 
宅浪をして、いままでのやり方を全て疑ってやった。高校の頃の勉強方法の下手さを知ってゾッとしたし、頭が痛くなったが、あの無駄があったから、いま一番いきたかったところにいるのだと思う。
 
なぜなら、無駄をすればどうなるか、僕は経験に叩き込まれたからだ。僕を常に追うのは、無駄なことに対する、恐怖。そこから脱却するために効率を追い求めた。
 
そして僕は自分にとっての無駄を
異常に嫌う性格になった。
 
そして、そうなりすぎた。
すべて無駄なんじゃないかな と思うことが多くなった。
逆算して考えて、これは自分の人生にとって正しいのか。それを繰り返すうちに、自分のやっていることに自信が持てなくなってしまった。
 
そう、僕は自分のもう一つの不器用さに気付いていなかった。
 
いろいろと思い込みすぎている。
 
ほとんどのことは無駄だと 思い込んで いた。僕は、ひとつ自分の中で判断をするとそれにすべて引っ張られるのだ。
 
もしかしたら、最初っからこれだけが僕の不器用さだったのかもしれない。自分が感じたやり方を正しいと思い込んで捨てなかったから、いろいろと下手だっただけなのかもしれない。
 
無駄なものは削ろう。んでも、折る必要はない。
半分は残しておいても大丈夫。あとで使えはしないだろうなんて、
まだ、それを判断できる人ではない。
でも、えんぴつを折らずに削るくらいはできるようになっているはずだ。
 
一人でできないなら、えんぴつを眺めながら困っていればいい。
不器用な人は危なっかしいから、たくさんの人が見守ってくれるだろう。
最後に削るのは自分だけどね。
 
 
 
 
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サンクコストでわかるメンヘラ ―恋愛経済学1

(マイクをごそごそ)

あっ、ここ、恋愛経済学の教室で間違いないかな?教授のだいすけです。

出席は取らないし、レポートもない。君も好きなところ座っていいよ。

(もしコメントくれたらA以上をあげます。)

 

まぁ私の自己紹介からしようか、教授っていうのは役柄だし、そんな権威とかじゃないんだけどね。私は高校時代から政治・経済が好きで、一番得意なんだけど、なぜかいろいろあって今は早稲田の文化構想学部にいます(メンヘラ養成学部なんて呼ばれてたりするんだな)。ここには愛を扱う授業もあるんだよ(本当)。

というわけで、私のバックグラウンドと学部の特徴をミックスさせた講義、

「恋愛経済学」をはじめようか。

※経済学的説明は簡単なことばかりだから間違ってないだろうけど、

心理学的には正しくないことを言うと思うから、そこんところよろしくね。

 

んじゃまず資料を配ります。

naruhiko1111.com

 読み終えたかな?これでサンクコストについては理解できたね。

つまり、これまであるものに対して使い込んじゃった費用 のことだ。

 

メンヘラの定義(紅茶文庫版)

ところで、今回の主役はメンヘラだ。ちなみに、私は「皆にメンヘラって言われる人からメンヘラって言われるくらいのメンヘラ」だ。直したいものだね。

まず、話をすすめるにあたって、メンヘラを定義したい。俺なりの定義だから、

問題や不具合もあるかもしれないが、この授業ではこうしよう。

メンヘラ=自分の承認欲求が高すぎるせいで他人(特に恋愛対象)に迷惑をかける人

つまり、冷たいことを言えば、かまってちゃんなわけだ。

(ちなみに、メンヘラは精神病と区別しなきゃいけない概念だと考えているよ。)

 

メンヘラとサンクコスト

じゃあ、参考文献のここを見て。

ちなみに恋愛に関しても同様のことが言えて、

付き合っている異性と別れたいと思っても、
これまでのコスト(時間、お金、労力)のことを考えると、
別れを切り出せないことが往々にしてあります。

経済学を恋愛にも応用できるって書いているんだね。

うん、これ見たとき、言いたいこと言われちゃったかなって思ったんだけど、私の場合は「メンヘラが」そういうサンクコストに関してどう考えているかってことを考えてたんだ。普通の人の場合じゃない。普通の人なら時間、お金、労力で済むと思うんだけど。

 

んで、メンヘラの気持ちになると(いやもうすでに私はメンヘラなんだけどね)

「コスト」という部分をもっと違う観点から見てあげる必要があると思う。

メンヘラは、時間、お金、労力とかいう客観的な指標でものごとを考えない。

メンヘラが考えるコストは「対象に向けた自らの思考の質と量」である

こういう仮説を立ててみたい。

メンヘラは、「自己の」承認欲求が高いんだったよね。つまり、付き合うとかキスするのが本当の目的ではなくて(これは手段)自分の承認欲求を満たすことが目的なわけだよ。んでね、自己の承認欲求が高いってことは、承認欲求を満たす動機が強いってことでもあると思うんだ。その目的を達成するために、かなり考えこんでしまうんだね。

(なぜかモテるメンヘラ、いるでしょ?彼らは承認されるために考えつくしているからなんだ)

で、メンヘラがかまってちゃんな理由はここにある。

さぁ、メンヘラになりきって次の台詞を読んでみよう。

「その人のために誰よりも考えて考え込んだんだから、僕はその人にふさわしい」

こういう合理化に陥るのは簡単なことなんじゃないかな。つまり、考えた量や質がいままで投資したコストで、そのコスト=(埋没)費用の回収に目の色を変えているのがメンヘラなわけだ。だから、むやみに振ったりするとヤバい。どうにかして承認されようとさらに考えをめぐらすだろう。んー、犯罪のにおいもする。

 

え?なんだい、そこの綺麗な黒髪乙女。なに?メンヘラに追われて困ってる?

なるほど、じゃあみんなここで考えてみよう。黒髪乙女のために。

 

Q.メンヘラにかまってちゃんされないためにはどうすればいいか

 

考えられたかな、じゃあ私なりの答えを言うね。

そういうときは、メンヘラが君に対して考える機会を相対的に少なくすればいいんだよ。例えば、猫の世話をさせるとか、やりがいのある仕事をさせるとか、熱中できるような運動をさせるとか。経験則だけど、仲のいい友人を作るってのが一番いいなぁ。とりあえず、ほかの事を考えさせることだ。無気力な場合も多いから、難しいけど、少しずつだ。相手と付き合う以外のことが楽しいってことをわからせてあげよう。君のことしか考えていない、偏った彼の頭の中の円グラフ(彼女99パーセント、その他1パーセント)の「その他」の割合を少しずつ拡大してあげればいい。

実は、メンヘラ思考に陥りやすい人は、「彼/彼女を失ったらほかに何もない人」だったりするんだな。

自己の承認欲求を満たすための対象が恋愛しかないときがまずいんだ。

 

君がメンヘラだったとしたら

そう、もし君がメンヘラなら、彼/彼女を所持しているという事実以外の武器を持て。

こんな感じでちょっとかっこつけて第一回の講義を終わりにしようかな。

おしまい。んじゃ、私も武器を探しに行こうっと。

 

 

 

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アウトプット、は、すべて ―『そこの俺』シリーズ1

ねぇ、そこの俺、

「アウトプットがどんなもんか以外に、人の本質的な価値を決めるものはない」よ。

 

アウトプットの価値がその人の価値を決めるんだ。ちなみに、ここでいうアウトプットの範囲は広い。こんなブログ、試験の成績、レポート、論文だけじゃない。SNSのつぶやきもそうだし、日々の発言もアウトプットだ。自分の生き方の断片であり、自分以外の人に干渉するものは全部そう。というか、俺自身に対して返ってくるものですらそう。そうすると身の回りほぼすべてアウトプット。つまり、思考と経験が組み合わされた結果すべてが。

ご飯を食べること自体はインプットなんだけど、どんなご飯を食べるかを選択して実行することはアウトプット(意外に見落とすのが、これらの『インプットに見えるアウトプット』。)

今俺の部屋があんまり綺麗じゃないこととか、いろいろとサボってこんな文章かいてるのも俺なりのアウトプットだよ。ほかのすべてを否定してキーボード打ってるんでしょ。

 

どんなインプットをしているかはその人の価値と関係ない。例えば、アリストテレスを読んで「某皇族の露出が多い」だの低俗な週刊誌を書いている人より、えっちな本を読んで「こころ」のような名作を書ける人の方が価値が高い。

(まぁ、むずかしいだろうけど。俺はインプットの組み合わせがアウトプットの質を決定する説を支持しているからね)

問題は、いいインプットを知っているのに、文字通りクソみたいなアウトプットをしている人がありふれているってことなんだよ。

俺は俺のことを良く知っているから、ここで「こんなにいい作品が溢れているのに、現代人はけしからん」なんていうつもりはないってことがわかるだろう。むしろ俺は、そのことをチャンスだと捉えている。

だって、そんなに上質なインプットを与えられていないーいまいち高尚な芸術や学問が理解できなくて、いい父親に育てられたとも言えないー俺にも、アウトプットの具合しだいでは自分の価値を上げることができるってことでしょ。

これをこの歳で知れたのは大きいと思うんだよね。よく思いついたね。幸運だ。

んーでも、後は俺のやる気しだいってところか。頑張らないとね。

アウトプットの質に気をつけて生きよう。俺の生き方が周りにどんな伝わり方をするか考えてみよう。こんだけ言えば大丈夫かな―?まぁどうせ忘れるだろうね、俺のことだから。でもたまに思い出したいね。

 

あ、でも、最低限、ちゃんと寝ていいものを食べたほうがいいと思うよ。

その選択も君の思考と経験の組み合わせの結果。つまり、アウトプット。

 

 

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あじさいと相合傘

内側にどこか影のある人が好きです。常に太陽の下、濡れたり吹き飛ばされたりせず、まっすぐここまで来た人もいいけど、時に雨や風にさらされて一度こけたりして、でもなんとかここまで来た人が好き。

 

そういう人と会ったときは、過ぎた嵐の夜について慰めあうためのつながりができた、ではなくーもちろん、その人の歴史を聞くのはとても楽しいけど―内側に困難に打ち勝つための強い力、特にやさしさをもった人同士が会った、と解釈する方が好きです。そういう人は辛い人の気持ちが分かるし。嵐の夜はその辛さを思い出すためじゃなく、自分と人のために経験として生かすためにあるんじゃないかな。

 

次の雨のときはあじさいを見るかもしれないし、傘を差し出してくれる人がいるかもしれない。そして傘を差し出してくれる人は、雨が降ることを知ってる人なんじゃないかな。あじさいは、その傘の中から見ると綺麗に見えるよ。

 

 

4、6、7、9、12、2、ジョーカー

僕の周りには話を真剣に聴いて会話できる人がとっても多いんです。話を聴いたうえで、さらにその上に話を丁寧に積み上げる……。そのおかげで、たまに想像もつかないくらい深い話ができたりします。

ここでのポイントは 聴く こと。論理的に話すのは大事だけど、二の次。相手に合わせたカードを切る。なければ、カードを作り出すくらいでなければいけません。

そういうのが上手な人たちに鍛えられ、自分もほんの少しこのスキルを体得できたかなと思います。最近そう実感できたのは、友達の友達を紹介されて、その日のうちにその人の恋愛の話を掘り下げて聴き込んで、アドバイスをしたとき。
(初対面なのに恋愛話を全て話してしまうその子もなかなかすごいですね、しかも女子。)

その日は死ぬほど丁寧に話を聴くことができました。その子も、本当に話してよかったと喜んでくれました。僕もそんなことは初めてで、びっくりしつつとても嬉しかったのを覚えています。

どうやら僕は、この能力が大事だと気づくのが遅かったようです。初対面の人にこんなに心を開いてもらえるとは。帰ってからもよい出会いの充実感でいっぱいでした。恋愛でもないのに。

もしかしたら、人の話を聞けない人って、結局一人で生きているのかもしれない。一人で生きるのも悪くないけど、僕は寂しがりだから、もう少しみんなと一緒にカードを積んでいこうかな。
ソリティア、できないんだよね。


ゴーストノート

知ってます?ゴーストノート。

 
いや、昔銀魂のOPですげぇいい曲を演奏していたんだけどそれ以降中々売れないライブバンド、ghostnoteのことではないのですよ。(でも好きだからはっつける)
 
……いやいや、今回はエッセイですよ。さいごは音楽の話からちゃんと逸れますからね。
 
ゴーストノート。弦楽器やドラムなんかを演奏している人にはおなじみの、聴こえるか聴こえないか微妙な装飾音のことです。
さっきのPVのドラムもよく見てると、スネアを打ってるのにはっきりした音が出てない箇所がいくつかありますね。(まぁ、録音と映像の音は一緒じゃないですが……)
 
実は、バラードを演奏するんなら、ドラマーとしてはこれ、使いこなせないといけない技術の一つなんですね。単調なフレーズも唯一無二なものになりますし、繊細なドラマーはこれを効果的に使います。
 
……でね、最近思うんです!ゴーストノートの考え方って、文章やら日常生活での会話やふるまいにも応用できるんじゃないかなって。
 
文章で言えば、助詞の使い方に気を配る人はゴーストノート使いのプロドラマーさんの可能性が高いです。あと、句読点の位置やら、使う記号とか。昨日後輩とTwitterで「……」(3点リーダ)の話をしましたが、あれの数や位置を自在に調整できる人はプロドラマーさんですね。
 
会話だったら、ちょっとした間を埋めるための相槌とか。また、無言でにこって笑ったり、首をかしげたりなんかの非言語的コミュニケーションもゴーストノートの一種なんじゃないかな、これは色々とあてはめられると思います。
 
些細な感情はゴーストノートです。ほんの少し嬉しい、ほんの少しつらい、ほんの少し憂鬱……そんなゴーストノートを自分の内側から、友人から、大切な人から聴き取れるようになりたいな。
 
スピードが速かったり、おっきな音が詰め込まれた音楽を聴きすぎるとゴーストノートのような繊細な音をキャッチできなくなることがあります。たまにはゆっくりとした会話の流れに身を包んで、聴こえるか聴こえないかギリギリの音に耳を澄ませてみたいのです。